
先代代表 故山中理民の含蓄と哲学に富んだ写真集をアーカイブ。
山中理民が貫いた比類なき「ONLY ONE」の生き様をぜひご覧ください!
死を迎えるほかないような絶望的な状態におかれても決して諦めず、
なお生き残る道を探り、自ら進んでその火中に飛び込んでいくー
そんな勇姿に励まされ、くじけそうな心を奮い立たせ、困難に立ち向かう勇気をもらったのは、決してわたしだけではないはずだ。
まだ若き青年の、類いまれなる精神力の原点を知りたくなった。
「弓の弦を結ぶように、凛とした生き方をしてほしい」と願い、
中学の教頭も務めた数学教師の父が名付けた、羽生結弦。
今でこそ絶対王者の羽生だが、少年時代は喘息もちですぐに息切れし、食も細く、
「あがり症」だったという。
そのため母は栄養管理を学んで食事を作り、セルフコントロール法も独学するなど献身的に支えた。
また、フィギアはお金のかかるスポーツだけに、母はパートを掛け持ちして費用を補い、
つい数年前までは競技の衣装を手作りしていた。
一方、父は決して口を出すことなく、息子の姿を見守り続けたという。
休場を考えざるを得ないような重症な怪我に襲われるたび、彼は鬼気迫る演技を続けた。
死をも覚悟したかのような正に真剣勝負。
そのメンタルには圧倒されるばかりだが、その源は両親の育て方とともに、自身が被災者となった東日本大震災の経験に、勝敗や損得を超えて被災地を思うある種の使命感が彼を突き動かしているのではないだろうか。
わたしの商売の原点は、麻である。
はからずも弓の「弦」は「麻」でできており、何かしら不思議な縁を感じている。
写真は、羽生が演じた安倍晴明になりかわり、齢80歳となったわたしの陰陽師である。
肩が丸まり、ピンと張ることは叶わない体ではあるものの、、
凛と伸ばした左手に、若き金メダリストからもらった感動への感謝と敬意を読み取って戴ければ有難い。
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